山吹色に染められた木製看板は「boo、や」と型抜きされている。
かつて、愛犬booが住み処にしていた場所だから、「boo、や」。
いま、ここはギャラリーになっている。静かで、凛とした空気が漂う、山すその直売ギャラリーだ。
「Boo、や」の中は、金子典栄さん、都美さん夫妻の作品がところ狭しと並んでいる。
「同じものを作るのが好きじゃないんだよね」
典栄さんがそう言うように、無数に並ぶ陶磁器の一つひとつが、おのおの違う。色も、艶も、形も、触った感じまでもが違いそう。
鳥獣戯画から飛び出してきたような、狛犬や猪の姿もある。都美さんが作った陶人形は、ぬくもりや素朴さ、なつかしさといった言葉がよく似合う。
2人の職場は、このギャラリーに隣接した工房だ。
大小さまざまな器やお皿、おちょこにとっくり、コーヒーカップ。その構想を練り、成形し、焼き上げ、絵付けして仕上げる、その一連の作業をここでする。
焼き上げるのは、レンガ造りの自作の窯。一度火を入れたら、三日三晩、焚き続ける。
「生の火を見ていると『生きているなあ』って」
約1千度の温度を保っていないと、うまく焼けないのだという。発色の仕方は、薪に使う木が、松なのか、杉なのか、柿なのかによって違ってくる。灰の飛び具合によって偶然もたらされる色合いもある。
そんな繊細な工程を経て、作品は生まれてくる。
「『これで酒飲んで騒ぎたいなあ』とか『これくらいの皿で味わいたいなあ』とか、作るときに考えているのはそんなこと」
典栄さんはそう笑う。
「俺の料理はこういう食器に盛りたい、こんな食器ではせっかくの俺の料理が死んでしまう」(北大路魯山人『魯山人味道』 中公文庫)
美食がゆえに陶芸にのめり込んだ芸術家が、エッセイ『食器は料理のきもの』の中に残した言葉と通ずるものがありそうだ。
典栄さんが陶芸に出会ったのは、愛知県立芸術大学の院生時代だった。名古屋・大須で旗揚げされた劇団「ロック歌舞伎スーパー一座」に加わり、役者・小道具担当として活動していた時期でもある。
友人の窯で焼き物を始め、イベントへの出店販売を繰り返した。次第にのめり込み、「自分のやりたいことを追求しよう」と陶芸の道を志すようになっていった。
「歌舞伎メイクをして演じるのもおもしろかったけど、ものを作っている自分が好きだったね」
都美さんもこのころ、同じく名古屋を拠点にしてアクセサリー販売の仕事をしていた。
いずれ2人で、自らの窯を持ちたい。
そんな思いでたどり着いたのが、都美さんの出身地・根尾だった。
「春に淡墨桜の前で陶磁器を出したら、観光客の方たちが喜んで買っていってくれて」
創作に没頭でき、薪の調達もしやすいこの環境のなかで、自らの住まいと窯を構えることに決めた。
そうして根尾に移り住んでからは、もう30年以上が過ぎた。
「昔は活気があった。地域のソフトボール大会があって、仕事終わりの夕方から夜にかけてみんなで練習したこともあった。いまは、酒を飲む機会も少なくなったね」
時の移り変わりを感じるなかにあって、「boo、や」は比較的新しい存在だ。
感染症のまん延により、展覧会やイベントが相次いで取り止めになったことを受け、2020年5月にオープンさせた。
16歳で世を去った愛犬booの名を刻んだ、このギャラリー。
典栄さん、都美さんの2人も、創作活動を通じて、この根尾の地に暮らした証を刻みこんでいこうという思いだ。
「人生65年にもなると、これまで何を残してきたのかなと、自分自身で問うようになった。いま生きている証として、1千年後に発掘されても恥ずかしくないものを、残していきたいね」
(2022年9月取材)